『不正をしてでも、わが子を大学に合格させたかったのか』

『不正をしてでも、わが子を大学に合格させたかったのか』<2018年7月5日(木)>
 「できの悪いのはしかたないとして不正だけはするなと教えてきたはずだぞ!」。『筆洗』(180705)は、「ドラえもん」の「コンピューターペンシル」の巻を紹介する。コンピューターペンシルを「ジャイアンのび太から取り上げ、試験で使い、百点満点を取るのだが、答案を見た父親は喜ぶどころか、こっぴどく叱る。・・・立派な教育であり、子への愛情であろう。・・・この父親は、不正をしてでも、わが子を大学に合格させたかったのか。・・・教育行政を担う文科省の局長が不正という秘密道具を使って裏口入学に手を染めた。合格が親の不正の結果と知れば、どれほど子どもが傷つくかがなぜ分からなかったか。その『子のために』は教育とも愛情とも決して呼べぬ」。
 (JN) 我が子のために何とかしてやりたい。この件、まだ容疑者としてであるので、事実はわからない。従って、決めつけられない状態にあるので、国会の質疑の様であるが一般的な話や自分の体験を話したい。さて、ジャイアンのおとうさんの行動ように、親は子供の現実を知っている。急に、変化することはないので、その現実に即して、子どもの進路の応援をすべきである。無理に下駄を履かせてはならない。しかし、悲しいかな、親の思いが強くなるとギャップを生じてしまう。当方が若いころ所属していたところでは年度末が近づくと、親と子供の葛藤の中に引きずり込まれることがあった。教員養成に関わていたため、教員採用試験に合格したが、単位が取れていないので何とかしてほしい、との相談がある。それは、学生当人ではなく、親やその親にためまれた議員や大臣の秘書からである。実情を説明しご理解をいただく。時には、教員になりたくない子どもと教員させてい親の親子でやって来て、喧嘩を目の当たりにする。皆が不幸である。これは子供への愛ではなく、親の自己愛であろう。