『朝も夕も部活。疲れ切っているのに土日も休めず、家族・・・』

『朝も夕も部活。疲れ切っているのに土日も休めず、家族との時間もとれない。』<2017年8月29日(火)>
 「中学校の教員の六割近くの残業時間が「過労死ライン」を越えるという過酷さの一因に部活がある」。『筆洗』(170825)は、名古屋大学の内田良准教授の新著『ブラック部活動』(東洋館)を紹介する。「部活動は、あくまでも『自主的な活動』だ。放課後などの部活動の指導は『勤務時間』には入らず、時間外勤務手当も出ない。しかし現実には、八割以上の中学校で全教員の部活の指導が実質的に義務付けられている。そんな部活こそ『ブラック企業戦士への予備軍を生み出しているのではないか』と」。
 (JN) 先生たちには労働時間の制約がない。それは自由に教育活動を行ってもらうためである。タイムカードに縛られることなく、生徒の支援をする。しかし、今の先生たちは何と、お仕事の多いことか。仕事に縛られて、枠の中で活動をしなければならず、決められたことをこなすのが精いっぱいなのであろうか。表現は悪いが、「教員は暇でなければならない」。そして、いつでも、子供たちに何かがあれば対応ができる。いつでも相談に乗れる。ゆとりをもって子どもと接し、そして夢を与える、それが先生だ。筆洗は内田氏の指摘から部活を悪者にしているが、そうであろうか。部活は大事な教育活動である。なぜ、ブラック企業といわれるまでになってしまったのか、学校制度、教員の能力と価値はどうなっているのか、そこを歴史的に紐解いていかねばならないと考える。