『せめて子供のときくらいは…』

『せめて子供のときくらいは…』<2018年5月22日(火)>
 今どきの幼児はスマートフォンをもう日常生活に使用している。これについて、『筆洗』(180522)は高峰秀子『わたしの渡世日記』を引用する。「せめて子供のときくらいは子供らしく遊ばせてやってほしい」。そして、述べる。「三歳児が小さな手でスマートフォンを握っている姿を想像すれば、やや落ち着かなくもなる。大人たちはスマートフォンを片時も手放せなくなっている。そういう大人を見れば、子どもたちには『そんなに早く大人にならなくても』とささやきたくもなる」。
 (JN) 小さな画像だが、その中に出てくる世界は、大人が引き込まれるのだから、児童幼児が引き込まれてもおかしくないだろう。そして、言葉を覚えるようにスマートフォンの操作を覚えてしまうのであろう。理解能力が低下し忘れることを得意とする年寄りにはできない芸当である。でも、この便利なグッズは有毒である。便利な魔法の壺のようなものである。これなくしては生きていけなくなっては困る。どうしても、何かを見たいなら、本を読ませなさい。歩きスマホなどさせないように、本を読ませなさい。受け身にならない読書で、本と会話をさせよう。でも、歩き読みはダメかな。