『まさかスマートフォンで課題の完成品を買ったりしてないよね』

『まさかスマートフォンで課題の完成品を買ったりしてないよね』<2017年8月31日(木)>
 「きょうが宿題の追い込み最終日、という子供もいるだろう」。『春秋』(170831)は、この宿題に係り、「1966年に刊行された児童文学者、古田足日さんの名作『宿題ひきうけ株式会社』の一節」を紹介する。「『音より速い飛行機ができても、四季と宿題はなくならない』、『宿題のあるかぎり、この会社ははんじょうするぞ』」。今では「フリーマーケットアプリで「宿題」と検索すると多数の出品に驚く。まさかスマートフォンで課題の完成品を買ったりしてないよね。学齢期の子や孫を持つかつての少年少女。きょうは食卓を囲んで去りし夏の思い出を語り合ったらどうだろう」。
 (JN) まだ今日がある。否、もう今日しかない。8月31日とは12年間、否な日であった。それが父親となり、子供が小学校へ行くようになり、歴史を繰り返したか。ゆとり時代は宿題が少なかったか? それでも慌ただしかったような記憶がある。夏休みの宿題では、自由研究が記憶にある。ほとんど家にいない父親が、一緒に市内を回っての寺社巡りは半世紀前だが良い思い出となっている。次に自分が父親となり、やはりフィールドワークをしたが、私が一生懸命になりすぎて、息子に呆れられたことがあった。子どもと接する機会としても重要であった。そんな夏の思い出が懐かしい。明日から、列車がにぎやかになる。夏休みの出来は別として、新学期はやってくる。夏から秋に向かってゆく。次のお楽しみ体験は何だろう。