『指示や命令を待つ先に事故ゼロの日は来るのだろうか』

『指示や命令を待つ先に事故ゼロの日は来るのだろうか』<2018年4月26日(木)>
 「JR西日本も社をあげて体質を変えてきたはずだった。そこへ起きたのが昨年末の新幹線のぞみの台車亀裂問題である」。『春秋』(180426)は、福知山線脱線事故から昨日で13年、過去の事故からの経験は生かされているのかと思う。土本典昭さんの映画「ある機関助士」の鉄道マンの誇りはどうしたのだと。「列車を止めて点検すべきか否かのやり取りでは、指令員や保守担当が判断を預け合う印象がある。責任回避や先送りとも取れ、進んで安全を担う気概が見えない。指示や命令を待つ先に事故ゼロの日は来るのだろうか。映画に登場する先輩らは背中で『安全運行は自ら切り開くもの』と語るようだ。教えは色あせていない」。
 (JN) 列車に乗るのは、安心して目的地へ行けるからである。列車はスピードをモットーとするが、優先されるのは安全である。故障は生じることがあろうが事故は有ってはならない。一つの列車が動くために、多くの人が係わっている。その人たちの一つ一つの作業の努力が私たちをより早く安全に目的地へ連れていってくれる。それが、一つの工程にミスがあったら、大事故になってしまう場合がある。この工程の最終表現者が運転手さんと車掌さんだろうか。私が子どものころの憧れの人たちである。運転手さん、車掌さん、よろしくお願いします。未来の安全をお願いするとともに、本日も安全に目的地へ行けたことへの感謝をしたい。