『「北窓塞ぐ」は北風に備え、北側の窓を土で塗りふさぐ冬支度』<2017年12月13日(水)>
「木枯らしが大方の落ち葉を吹き飛ばした列島に、いよいよ本格的寒波の到来」、『余録』(171213)は凩を句から現実を思う。「凩の果はありけり海の音」、「海に出て木枯帰るところなし」、「木がらしや目刺にのこる海のいろ」。「今冬は、この先も平年より寒さが厳しくなるらしい。ラニーニャ現象が6年ぶりに発生したためという。加えて列島南岸を流れる黒潮が大蛇行する今季は過去のデータから東京や日本海側で大雪になる可能性があるとの専門家の話も聞く。『北窓塞ぐ』は北風に備え、北側の窓を土で塗りふさぐ冬支度をいう季語である。いちいち窓をふさぐ必要のなくなった現代だが、北風の行方、その果てるところの異変からは目を離さぬ方がよさそうだ」。
(JN) 四季は巡るが世は無常である。毎年、気象は何かしら異常な変化がある。それでもある方向へ向かっているのではないかと、人生半世紀を越えて幼少時代を想う。1960年代までは池の水が12月の内に凍り、1月には乗っても大丈夫な状態であった記憶がある。それがいつの間にか、池が凍らなくなった。二酸化炭素の増大で温暖化傾向にあるのだろう。人間にとっては温暖化という長期の傾向の中、それぞれの年で異常気象が発生しているが、それは自然にとっては異常ではなく自然なのかもしれない。人間が勝手に基準を作り、それに従わないのが異常なのであろう。四季の変化の中で木枯らしは毎年やってくる。でも、その冬は前の冬とは違う。私たちの尺度では測れないのが自然である。その変化をどうとらえるか、勝手な尺度で勝手な憶測をせずに、その現象から多くの可能性を考えていかねばならない。保存され止揚されなければならない。それは、専門家に任せるだけでなく、個々の私たち自身も自覚しなければならない。自然災害事故を起こさぬよう皆で知恵を絞ろう。