『あきらめるな。頑張れ。光が見えるか。それに・・・』

『あきらめるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ』<2017年12月12日(火)>
 「ノーベル平和賞の授賞式で、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の一員として演説した、サーロー節子さん」。『筆洗』(171212)はその活動に思う。「われわれは核兵器使用という深刻な危険のある暗闇から『光の方向へ』と一刻も早く脱出しなければなるまい。サーローさんの言葉や核兵器廃絶に向けたすべての取り組みこそ光である。まだ、かそけき光か。されど、その光を追いかける者が増えれば『非常口』*はより明るく、照らされるだろう。急がねば」。(*「非常口」のマークの「ランニングマン」が「その足元の影を見れば、光のある方向である」)
 (JN) 核爆弾の力は壮絶である。また、膨大な経費を生み、私たちの生活を脅かしている。その核爆弾は持っていることを他者に知らしめないと、効果がない。そして、その場所を分からないようにしていないと使えない。そして、今度、使ってしまったら、我々はこの地球上で生きていくことが、困難になるのだろう。このようなものは必要ない。これで何を守れるのか。サーローさんが言うように「絶対悪」である。光は通常、希望であるが、原爆の光は絶望である。この絶望の光が発したら、私たちは逃げることができない。また「非常口」もない。すべきことは、核廃絶である。その光は見えるのか。私たち一人一人がそのことを理解しなければ、灯らない光かもしれない。「非常口」を探して闇をさ迷い続けるのか私たちは。一瞬で消えるのか、戦い続けるのか。