『「ノマドワーカー」が主流になる日がくるのだろうか』

『「ノマドワーカー」が主流になる日がくるのだろうか』<2017年11月20日(月)>
 「毎日、同じ時間に同じ場所で同じ仲間と働いて食事も一緒に――」。『春秋』(171120)はそんな時代の終わりを告げる。「時間や場所に縛られぬ、遊牧民みたいな『ノマドワーカー』が主流になる日がくるのだろうか。そうなると、会社中心の生き方自体が大転換を遂げる。通勤ラッシュも「ああ12時だ」の昼食難民も消えるかもしれない。さて、きょうは月曜日。また1週間頑張ろうと気合を入れたのも、昭和・平成の古き思い出となろうか」。
 (JN) どこでも仕事ができる。若かりし頃を思い出す。仕事熱心な仕事大好き人間ではなかったが、風呂敷残業を自宅や出張先のホテルでも行っていた。それは、「時間や場所に縛られぬ」ではなく、「時間や場所に縛られっぱなし」の日々であった。仕事とともに「仲間にも縛られて」、朝から晩まで一緒にいると仲間意識もでてきた。それが顔をあわせなくなると、仲間意識が希薄にならないのか。否、今やSNSなど、直接会わなくとも、ウエブ上でお友達になっている時代、その「ノマドワーカー」なるものでも組織は保たれようか。否、そういう考え自体がおかしいかもしれない。まあとにかく「働き方革命」だ。「痛勤」から解放される。「生活革命」だ。「いつでも、どこでも、だれでも」コミュニケーションと仕事。それは労働強化かな?