『「タカタが安全の代名詞になる日」を目指していた』

『「タカタが安全の代名詞になる日」を目指していた』<2017年6月27日(火)>
 (JN) 誰もがとは言わないが、多くの人たちがこの数年予測していたことがやってきた。人の安全第一のタカタは何故に対策に早く行動ができなかったのか。もうタカタの製品の世話になることはないのか。事故は様々なケースがあり、常に改善をしていかねばならない。誰もが事故に遭う可能性があり、それを最小限に食い止めねばならない。株式会社は有限責任、人の命は有限、とにかく救急車の世話にならぬよう、安全には気をつけよう。さて、各紙は論ずる。
 『余録』は太平洋戦争の日米比較を論ずる。「よく比較されたのは防御面の弱さ。被弾した場合の『ダメージコントロール』の考え方の乏しさが指摘されてきた。戦後の日本人はこの失敗に学び、不測の事態には被害を最小限に封じる策を身につけた……はずであった。日本の製造業への信頼まで大きく損ねたタカタの危機管理のお粗末だった」。『春秋』はタカタの「創業者は相当なアイデアマンだったに違いない。昭和8年の創業時から、織物の技術を生かして救命ロープの製造にも乗り出していたと同社の沿革にある。戦後はモータリゼーションの到来以前にシートベルトの研究に着手した。やがてグローバル企業に脱皮するのだが、その急成長の陰に慢心が潜んでいたのかもしれない。欠陥エアバッグ問題にきちんと手を打たぬまま経営が悪化。安全のためのものづくりに精魂を注いできた会社が、自らの安全にかくも無頓着だったとは皮肉な話である」。『筆洗』はタカタのサイト上の「タカタの願い」を紹介する。「『自分たちの製品が活躍しないこと』『ずっと使われないですむなら、いちばんうれしい』とある。人の命を守ることにこだわっていたはずの会社である。『タカタが安全の代名詞になる日』を目指していた。代名詞になることはおろか、中国企業傘下の米国部品メーカーに買い取られ、タカタの名が残るかどうかさえも分からない」。