『「難儀なことやなあ」と京都のタクシードライバー』

『「難儀なことやなあ」と京都のタクシードライバー』<2017年6月26日(月)>
 神社仏閣宿泊所が全部頭に入っている京都のタクシードライバー泣かせの民泊が増加している。「春秋」(170626)はこれを思う。「シェア経済がたくましく育っているのはたしかだが、その多くが無許可とみられている。市の推計では、違法民泊の利用者が昨年は110万人にのぼるという。1年間に訪れる修学旅行生の数と同じ規模である。ゴミ出しや騒音のトラブルもまた、住民の心配のタネだ。秩序を保ちつつ、需要にきちんとこたえるにはどうしたらいいのだろう。京都を知り尽くした運転手さんも、ぼやくばかりであった。」
 (JN) 出張や観光でタクシードライバーの世話になる。どこのドライバーの方々も様々なこと良く知っていて、ありがたいものである。でも、いい加減なドライバーも遭遇している。松江で小泉八雲記念館で立机を見て、「外人さんは背が高いので机もこんなに高いのですよ」と。否、ハーン先生は小さかったが。京都では、そんなことはないのだが、ドライバーさんたちは自分の頭脳だけではなく、民泊新情報をコンピュータに頼らねばならぬようになるだろう。古い町並みを保存するためにも、民泊が必要なのかもしれない。どんどん知らぬ民泊が増えよう。こちら観光客はややこしい住所を言わずに目的地に行きたい。難儀でしょうがドライバーの皆様よろしくお願いします。