晴れた日には、広い世の中を遠く見渡したい

晴れた日には、広い世の中を遠く見渡したい
(日経「春秋」2015/3/4付) 窓のない世界は想像もできない。リルケの詩がある。「窓よ、われわれの大きな人生を雑作もなく区限(くぎ)つてゐる。いとも簡単な図形」(堀辰雄訳)。ひとは、多様な図形から世界を眺める。形も四角や丸など色々。見え方も変わる。目の前の出来事だけではない。見えない心の枠組みを通して外を見ている。人間にとって欠かせない働きなのかもしれない。大昔はぜいたく品だった。イギリス、オランダなど欧州では窓に課税していた。そこで節税のために閉じて数を減らした。そのガラスに張るだけで「夏涼しく冬暖かい」とうたった断熱フィルムがある。外から入る熱を削減、反対に逃げる熱も減らす効果があるという。先週、消費者庁は宣伝ほどの効果がないと、製造販売会社に改善を求めた。会社は命令の取り消しを求めて、法的に争う方針だという。技術が進歩して、便利になっても、窓の基本的な役割は変わらない。やはり晴れた日には、広い世の中を遠く見渡したい。ぜいたくをいえば、そのままで夏涼冬暖ならありがたいのだが。
(JN) 戦後、70年で家の構造が変わり、窓も変化した。私の住む東京は、湿度の高い地域で、冬の寒さと乾燥はあるが、夏の気候に合わせた建物であった。そのため、南側は、大きく開かれた縁側を持つ大きな窓であった。それは、日差しや風だけでなく、カギを閉めても人も出入りが容易い構造であった。それが、世の中物騒になり、隣近所の付き合いが少なくなり、窓は小さく頑丈になって行った。それは、冷暖房完備の住まいにあったためでもあろうが、電気が止まるとそれは夏など耐えがたき状態となってしまう。エコな生活をするなら、大きな窓に戻るのであろうが、それは、自分や他人のプライバシーが守れるような広い敷地であればよいが、ウサギ小屋住まいでは、それは贅沢な憧れである。広く遠くを見渡せない。であるから、ちょっと贅沢をして、断熱フィルムを思い切って使ってみたが、なんとそれほど効果がないと。真夏日、熱帯夜がまたやって来るが、節電しながらどうやって行こうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO83930600U5A300C1MM8000/