あとから原因を追及しても、当事者が見つからない

(日経「春秋」2014/11/26付) すべてのものに名前があるとは限らない。ビスケットが壊れないように缶の中に入っている並んだ透明な気泡の詰め物には、呼び名がない――。いまではプチプチという名前がおなじみになった。登録商標で一般名は気泡緩衝シート、ぶつかったときの衝撃を吸収する。この仕組みを空気ばねと呼び、車のエアバッグにも同じ原理が働いている。タカタ製エアバッグの欠陥問題は深刻だ。米国では死者も出た。世界で1千万台を超える車がリコール(回収・無償修理)対象になっている。なのに、対策が後手続きで、米議会が厳しく批判した。はたして会社に当事者能力があるのか疑う声さえ上がる。山本七平が「『空気』の研究」で指摘している。その場の空気に支配されて無謀な決定をする。あとから原因を追及しても、どこにも当事者が見つからない。結局、うやむやになる。製造企業にそんな空気があるとすれば解決への道は限りなく遠い。
(JN) 安全装置で命を失う。そんなことがあって良いのか。それを改善もせずにそのままにしておくとは、人としてあり得ない。組織と言うものは、責任者がその責任を取らないと、まとまらない無責任なものになるのか。人を商品としか思わない資本主義においても、ものづくりの者にとって、ものを流通するものとして、信用が第一である。その信用を失う行為である。これは、殺人行為と同様であろうから、その罪を償わねばならない。それは、今の幹部の仕事である。衆議院と異なり、簡単に解散して”ちゃら”にはできな企業、どのように責任をとるのか。過去の者せいにするのではなく、今いる責任者が責任を取る、それが責任者である。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO80145410W4A121C1MM8000/