『情報を軽んじ、都合のいいように変える。それが、どんな・・・』

『情報を軽んじ、都合のいいように変える。それが、どんな悲劇をこの国にもたらしたか』<2017年2月13日(月)>
 「南スーダンで昨夏、何が起きていたのか」。この解釈で防衛相は戦闘行為の戦闘ということばを廃棄したとのことで、何やらやり取り。「筆洗」(170209)は、これを第2次大戦中の大本営発表に比喩する。そして、近現代史研究家の辻田真佐憲さんの書によると、「大本営は、偽りの真実に自ら縛られていったという。そうして、非現実的な策が現場に押し付けられていった。そんな自縄自縛の罠が、防衛相には見えていないのだろうか。」
 (JN) 言葉は単なる口から出てくる音というだけでなない。私たちの世界の存在を表現するものである。従って、事実を都合よく解釈して、事実を曲げるような表現をしては、私たちの世界を変えてしまうことになる。今回の国会答弁において、「戦闘」というこの表現を廃棄したという防衛省としての対応は、自衛隊の在り方の矛盾から来ているので、防衛省も何ともできない。元々の問題に、それぞれの都合での解釈があり、二進も三進もいかないのである。現実をどう解決していくかではなく、現実を事実として明確にして行かねばならない。矛盾は我にあり、何だか、単なる言葉の遊びになっていて申し訳ありません。