高市は、現在も「3.11」前の世界に生きているのだろうか

(日経「春秋」2013/6/20付) 事件事故や災害が起きたとき、メディアは、そして世の中も、まっさきに死者の数を意識する。×人死亡か、と第一報。一転全員無事とわかれば胸をなで下ろしつつ、関心はよそへと向かうのだ。自民党高市早苗政調会長は、現在も「3.11」前の世界に生きているのだろうか。原発の再稼働を訴えるなかで、「事故によって死亡者が出ている状況ではない」と口走った。「私のしゃべり方が下手だったのかもしれない」。こう釈明していた高市さんだが、結局は発言自体を撤回した。そういえばこの人、先月は「村山談話」について「侵略という文言を入れているのはしっくりきていない」と語って波紋を広げ、口を慎むはめになった。しゃべり方というより、政治が下手なのかもしれない。
(JN) 事実をご都合で解釈し、人の悲しみや怒りを捉えることができず、それを平然と当たり前のように発言する者を何時まで人前に晒しておくのか。我々は目に見得た表面上のことしかとらえることのできないが、人の心は持っているはずだ。故意に行っているとしか思えないこの所業である。当人は政治を上手に行っているつもりかもしれない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO56415040Q3A620C1MM8000/