『施行から70年、憲法はどこまで私たちのものになった・・・』

『施行から70年、憲法はどこまで私たちのものになっただろう。現実を理念に近づけるべき箇所はまだある』<2017年5月8日(月)>
 半藤一利さんが「憲法を100年守ろう」と。このままの形で続くなら「それが国の意思になるし、海外の人々の戦争観にも影響を与える」。「天声人語」(170506)は、これに続けて「100年の区切りに特段の理由はない。あるのは平和への意思だろう。さてこちらの区切りはどうか。安倍晋三首相が持ち出した『2020年』である。これは首相在任中に改憲を見たいという『自己都合』にしか思えない。施行から70年、憲法はどこまで私たちのものになっただろう。現実を理念に近づけるべき箇所はまだある」と。
 (JN) 憲法の解釈について、それなりに私の頭の中では葛藤が続く。お馴染みの9条ならば、私の愚かな脳みその中で意見が分かれる。日本はいつまで米国の従属地域でいるのか。「日本よ国家たれ」、早く米軍を日本から追い出せ。何せ、東京の西の巨大米軍基地が常に、日本国に銃を突き付けている。そこへお金をつぎ込んでいる。これが平和国家であろうかと右側で呟く。いやいや平和国家などありえないと左側で呟く。・・・・・。その他も、考えが揺れ動く。世の中の解釈も揺れ動く。その中で、憲法は揺れ動かないことが肝心かもしれない。憲法とは寛仁なものでるのかもしれない。