『弱者の友なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。・・・』

『弱者の友なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ』(2017年2月1日(水))
 太宰治の「畜犬談」から、「筆洗」(170201)は「弱い者の味方」を考える。病気の愛犬に毒を混ぜた肉を与えるも薬が効かず、「私はゆるしてやろうよと妻に告げる。『芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ』『弱者の友なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ』。芸術家に限らない。京都大学のチームによると弱者を助けるという行為に対し生後六カ月の乳児が共感している可能性があることが分かったそうだ。われわれは成長するにつれ、せっかくいただいた弱い者を助ける心を少しずつ忘れてきてしまうようなのだ。その置き忘れた場所と時刻を。」
 (JN) 京大の実験結果によると、人は「弱い者の味方」であったのが、成長とともに長いものに巻かれるようになるのか。それが大人という事なのであろうか。悲しいかな我が人生は長いものに巻かれっぱなしである。若い時の元気はどこへ行ってしまったのか。仕事に就くと、「善」についての論争を挑むなど、以ての外であり、異性にだって持てるわけなし。人は大人になっていく。これは精神が年寄りになっていくことだ。これに抵抗して、「弱いものの味方」を思い出そう。面倒臭い年寄りになろう。幸い、私の周りにはそんな面倒臭い人が多くいる。