『母と妹を失った日から「命とは何だろう」と自らに問い続けてきた』

<2016年8月25日(木)>
『母と妹を失った日から「命とは何だろう」と自らに問い続けてきた』

 「なぜ母と妹は焼き殺されたのか」。「余録」(毎日/16/8/24)は、元生物教諭の中山伊佐男さんの米軍の機密解除資料調査を紹介する。「富山だけのことだったのか。他の都市の空襲も調べてみた。米軍は住宅地だけを最も効率良く焼き払う計画を綿密に立てていた。無差別爆撃ではなく住民が標的の爆撃と確信した中山さんは、全国の20都市以上の空襲の実態を調べた。空襲で理不尽な死を遂げた人たちの命に思いを巡らせながら、米軍資料から真相を解き明かす日々は戦後71年たったこの夏も続いている」。

 戦争は何のために行われるのか。人類の歴史は戦争で綴られている。その歴史は政権の歴史であり、そこに生きる者の苦悩の歴史伝わりにくい。政権は一握りの権力者であり、その一握りの者の何かのために人々の命が失われていった。20世紀に入り、火力の破壊力は大きくなり、兵隊も国家総動員体制となり、最前線から銃後まで国民の命を脅かすようになった。平気で一握りの者は敵国の国民の命を奪う命令を下す。何のために、何の権利があって行われたのか。それはその時の勝者が理由づけた。裁きも下した。でも、その行為が許されるものなのであろうか。中山伊佐男さんのようにはできないが、これからの未来を考える上でも、人それぞれが考えるべきである。(JN)