『教科書は無償だが「デジタル版」について、国は当面無償・・・』

『教科書は無償だが「デジタル版」について、国は当面無償としない方向で話が進む』
 「筆洗」(東京新聞/16/4/25)は、デジタル教科書の導入について考える。それは高嶺秀子さんの実生活や出演した「二十四の瞳」から展開する。「私は指田先生のおかげであやうく『文盲』をまぬがれたのである」と。映画「二十四の瞳」では貧しさから小学校に通えぬ女の子に花の弁当箱を渡す先生役となる。「教科書のデジタル版について、国は当面無償としない方向で話が進むが親の財政事情で使いたくとも使えぬ子が出てくることを心配。どの子も等しく使える仕組みづくりであろう。まさか優しい先生の温情にすがるわけにもいかぬ。」
 親の貧富の差が子どもにもそのまま影響する。その差を埋めるのが学校の在り方である。これは、経済的な差だけではなく、様々な差を学校関係者は読み取り、その距離を埋めて行くのである。インターネットなどの情報環境の差も、貧富の差とは別にある。教員は、その差に気付くことはできるが、その差を埋める環境づくりを一人で行うことは難しい。特に資金面は困難である。デジタル教科書について国が当面無償としない方針となると、各自治体が負担すべきということか。タブレット端末等を貸出するのか。或いはアナログ教科書を無料配布することで良しとするのか。(JN)