『隣にいるのは、どこか危うさをはらむ指導者である』

『隣にいるのは、どこか危うさをはらむ指導者である』<2017年10月26日(木)>
 「共産党憲法にあたる規約に、習近平総書記の名を冠した思想が盛り込まれた」ことについて、『天声人語』(171026)は危うさを感じる。「存命中の指導者としては毛沢東以来という。習氏を礼賛する歌が街角で歌われるとなると異様である。そんな指導者の下、経済も軍事も強国になるという。提言やチェックが全く機能しない社会だとすれば、強さは生まれない。貧富の差は米国以上という不思議な社会主義国である。体制維持のために強いリーダーを演出し、強国という愛国心に訴える。隣にいるのは、どこか危うさをはらむ指導者である」。
 (JN) 同じ人間や政党が長く権力を独占することは腐敗を招く。そんなことは誰もがわかっているが、そういったことが生じるのはなぜであろうか。なかなか未来を考えての行動が我々にはできないのであろうか。今や目先を維持することが大事なのである。今の勢力を保つだけでなく、それよりも強固な体制を求める。そして、独裁者は自分の力の衰えを感じると、快い響きの声だけを信じるようになる。自分より能力のあるものを早めに片づけて、後継者は無能なものを選ぶようになる。誰しも賞味期限がある。その時期は誰にも分らないから、定年というものがあろうか。どんなに有能であっても代わっていかないとね。