『記憶があいまいなところがある』

『記憶があいまいなところがある』
 「甘利明・経済再生担当相や秘書らが千葉の建設会社側から総額千二百万円にもなる現金や接待を受けていた」ことに関する国会の委員会での大臣の記憶について、「筆洗」(東京新聞/2016/1/22)は、その記憶を考える。「オーストラリアのレベッカさんは、記憶力が良く忘れることができず苦労する。」一方、我が大臣は、「大切な支援者とのやりとりをきちんと覚えていない」。しかし、「英国の枢密院議長も務めたジョン・モーリー子爵曰く「政治家にとって適切な記憶力とは、何を覚え何を忘れるかをわきまえた記憶力である」。わが国の大臣の記憶力も、子爵の眼鏡にかなうことだろう」と。
 記憶は、自分の都合である。不都合なことは忘れるのです。でも、急に覚えのある不都合なことへの質問があると、忘れる事ができず曖昧な回答しかできなくなる。モーリー子爵の申されるように、「何を覚え何を忘れるかをわきまえた記憶力」であれば、野党の追及をかわせるのか。否、不都合ではなく、やってはならぬことであろう。とにかく真実を知りたい。(JN)