『「戦後」は本当に終わったのだ。そう胸を・・・』

『「戦後」は本当に終わったのだ。そう胸を張って言えるような社会を目指したい』
 「年頭の記者会見で安倍晋三首相が触れたように、経済白書が『もはや戦後ではない』とうたったのは、60年前の1956年だった」。「春秋」(日経/2016/1/5付)は、「興味深いことに、同じ年の厚生白書は、貧困から抜け出せずに置いていかれる人たちの存在を指摘している。そして、現在も、老々介護に疲れ、あるいは病気を抱えた我が子の将来を案じ、肉親を手にかけてしまった人がいる。電気や水道が止まった部屋で、命を終えた親子がいる。荒涼とした風景が、日常のすぐ隣にある」と。
 「戦後」は終わったのだろうか。何に区切りをつけたのか、それによって解釈は変わるのであろう。当方が思うには、政治的に考えれば、米国の占領から脱していない以上、「戦後」は終わっていない。一方、貧困等の経済的問題は、「戦前」から続く問題であり、「戦後」の大衆的考えのみんな同じにという平等精神の日本において矛盾が続いている。そして、それぞれの人々の価値観が違う中で、皆同じという考え自体が矛盾している。老若男女それぞれの個性を大事にする環境が必要だ。そのためには、人が最低限生きていくための経済的基盤の整備をすべきである。それは公的支援も必要だが、自分たち地域地域で助け合う社会を再構築していかねばならない。「戦後」、この地域社会の構造が崩れた。この社会構造の整備さてこそ「戦後」の終わりであろう。それを私たち自身で構築し、「戦後」を終わらせることである。でも、だからと言って、あの戦争を忘れ去ろうとしてはならない。(JN)