『シェアハウス、人として成長し、同時に家賃も節約する・・・』

『シェアハウス、人として成長し、同時に家賃も節約する。若い世代のたくましさを感じる』<2017年7月16日(日)>
 連続テレビ小説ひよっこ」の視聴率が上昇していることに、『春秋』(170716)は1960年代の若者のアパート生活を挙げる。「他人同士が一緒に暮らし、共に食べ、兄弟姉妹のように親しくなっていく。現実の日本でも再び広がっている。シェアハウスと呼ばれる共同住宅が若者の人気を集め、物件も増加中らしい。親に個室を与えられ、情報機器に囲まれて育ったがゆえに、人とのぶつかりあいがちょっと苦手――。そんなところを家選びで補い、人として成長し、同時に家賃も節約する。若い世代のたくましさを感じる」。
 (JN) 日本はシェアの世界であったが、近代化とともにその習慣は消えていった。貧乏で、狭いところに人がいっぱいいる日本は、生活の上で、無意識にというか、当たり前に、シェアしたり、ボランティアをしていた。それが巨大な商品経済の力に押し流されていたが、それが黄昏てきたか、またお付き合いが戻ってきたか。近代化と資本主義社会が個人の自由を求めるのは、そこには強いお金や仕事でのつながりがあったからだ。ゲゼルシャフトゲマインシャフトか。社会構造の変化が我々のお付き合うをどのように支配していくのか、私たちは手を取り合って行く方向を選択するのであろうか。とりあえず、我が大学は地域と行政とURと手を結び、シェアハウスを始めた。