『その絵具は戦後七十年たった今も、少しも乾いてはいない』

『その絵具は戦後七十年たった今も、少しも乾いてはいない』
 東京新聞「筆洗」(2015年8月24日)の執筆者は、信州・上田の無言館を訪れ、「戦没した若き画家たちの遺作や遺品から、彼らはどういう思いで絵筆を銃に持ち替えたのか」を感じている。「一、私には既に私に与へられた運命がある 一、私には私だけにしか持てぬ世界がある 一、遺書といふ程のものは別にない 一、帰還は考へていない 一、おそらく生きて帰れぬことを信じてゐる…一、作画の少きを残念に思ふ…」。また、館長の思いを伝えている。「六十年も経つというのに/あなたの絵具は/ちっとも乾いていない/あなたの描いた絵の朱(あか)は/まるで 昨日の夕陽をみるように/鮮やかで…」。
 戦争に対する思いを私たちは、それぞれのおかれている環境の中で表現している。それは、過去の体験から今起きている国会での法案に対することまで、様々な方向からなされる。私たちは、自分の行動をどのようにすべきか悩み苦しむ。その苦しみは、過去の人々の苦しみを目のすると、尚更苦しむかもしれない。でも、その苦しみを確認しに行くことが今の私たちの役目である。私は、この上田の「無言館」に行ったこともなく、またこの「筆洗」で初めて知ったので、何も言う資格がないが、上田付近に行く機会がある者は、皆、行ってみるべきである。ここだけのことではなく、戦争を知らない者は、できうる限り足を運ぶことが必要である。書物から得られるものとはまた違ったことが伝わろう。自由な心を持っていたであろう若い画家たちは、何をどのように表現しているのか。(JN)