『人は、いつか読みたいと願いながら読むことができない・・・』

<2016年12月17日(土)>
『人は、いつか読みたいと願いながら読むことができない本からも影響を受ける』
 「積ん読」を「筆洗」(161217)は考える。この「言葉は、世界に誇るべき日本語らしい。オックスフォード大学出版局は、『愛書家が知っておくべき十の言葉』の筆頭に、tsundokuを挙げた。近著『言葉の贈り物』には、<私たちは、読めない本との間にも無言の対話を続けている。それは会い、話したいと願う人にも似て、その存在を遠くに感じながら、ふさわしい時機の到来を待っている>と。こういう本はじっくり噛みしめるように読もうと、枕元の本の山の一番上に置く。かくして積ん読の山は、また高くなる。」
 愛読家ではないが、積ん読派である。その山に追われながら読み続け、溜め続ける。この山は地層が入れ替わりながら、造山活動を続けている。早く山を低くしたいが、低くなると読む本がなくなると、恐怖心がまた積み重ねる。今、私の積ん読は、2種類になっている。一つはお馴染みの本の山であり、もう一つが「amazon」の「ほしい物リスト」の山である。「ほしい物リスト」を眺めながら、「待っててね」とつぶやきながら、日々増えていく。追いつかない。そして、今日、『言葉の贈り物』がリストに加わった。(JN)