『父よあなたは強かった 兜も焦がす炎熱を・・・・・・』

『父よあなたは強かった 兜も焦がす炎熱を・・・・・・』
 軍歌、それは、「聴いてみればどれも秀逸だから驚かれよう」と日経「春秋」(2015/8/13付)、しかし、「しきりに戦意をあおったメディアの過ちにも自戒を重ねたい」とも。
 「父よあなたは強かった 兜も焦がす炎熱を 敵の屍(かばね)と共に寝て……。昭和14年に大ヒットしたこの歌を、戦後何十年もたつのに不意に口ずさむ人が昔は少なからずいた。メディアは軍歌づくりを競っていた。勝ってくるぞと勇ましく……、海ゆかば……、わが大君に召されたる……。あの無謀な戦争になぜ日本は突き進んでいったのか。なぜ引き返せなかったか。軍部が悪かった。指導者が愚かだった。それはたしかだが、しきりに戦意をあおったメディアの過ちにも自戒を重ねたい。こうした歌や映画や、戦場の美談を伝えるあまたの報道とともに国ごと熱に浮かされて昭和の戦争はあったのだ。父よあなたは……。遠い声が呼び起こす痛恨である。」
 戦争中のことはわからぬが、戦後、70年となった今でも、父の背中で聴いた歌を忘れない。それは、昭和30年代、「貴様お俺とは同期の桜・・・・」、今でも私は歌える。しかし、あれだけ戦争で苦しみながらもなぜに、軍歌が今も歌われているのか。歌だけではない。昭和30年代の漫画でも戦記物、プラモデルもゼロ戦はやぶさ、B17、B29、大和・・・・・、よくも作ったものだ。TVは、コンバットで、米軍を応援し、ドイツ軍へ敵意を持つというおかしな状態であった。一方では、近所の工場の壁がまだ黒塗りが残っていた。傷痍軍人が新宿の駅でアコーディオンを弾いていた。音楽は、人を引き寄せる力がある。使い方次第で、人の流れを作れる。軍歌のその力を認めるが、使い道は誤っている。