『光る 光る東芝 回る 回る東芝』

『光る 光る東芝 回る 回る東芝
古代ギリシャ天文学者、メトンは戦争への出征を案じて、心の病にかかったふりをしり、自分の家に火を放った」話しを東京新聞「筆洗」(2015年7月22日)は、これを東芝の利益水増しに比喩する。「兵役は免れたが、大切な家を失った。目先の利益に心を奪われ、人を欺き、その結果、本当の幸福を見失う。号令は「チャレンジ」という収益目標の名で上から下へ伝わり、下は会計の数字をいじることでこれに応えようとした。<光る 光る東芝 回る 回る東芝>。光っている。回っている。ただ、光っているのは信用、信頼という看板が燃え上がる炎の光。回っているのはその煙。国民に長く愛された東芝というブランドがメトンの家のように燃えている。」
 火の車を隠すことに何の意味があったのか。隠しても何れはどか下に引火し、お家は火の海になろうに。「みんなみんな東芝」になってしまってはこまるこの事態である。誰のためなのか。なぜにそこまでして、こんなことをしたのか。そして、繰り返したのか。日本の企業は、これほどまでに腐っているのか。それとも、今は東芝だけの問題なのか。無能なリーダーを持つと、それが負の連鎖で引き継がれていくのか。それとも、東芝には会社を愛する人がいなかったのか。愛すべきか者でいれば、この事態にまで至らなかったであろうにと思いたくなる。悲しい限りである。さて、この東芝の状況を見て、まさか同様のことしていて、その火消のチャレンジを考えている企業はないであろう。