『かくして政権を襲った競技場騒動は収拾に向かう』

『かくして政権を襲った競技場騒動は収拾に向かう』
 「土壇場でラグビー城を明け渡した長老の心中いかばかりか」と、日経「春秋」(2015/7/18付)は、10年前の「自分は殺されてもいいんだ」衆院解散を決意した小泉純一郎首相に解散を止めようと直談判に及んだ前森首相の失意と、昨日説き伏せられたの元森首相を比較し、また「かくして政権を襲った競技場騒動は収拾に向かい、めでたしめでたし……かどうかは知らない。『自分は殺されてもいい』くらいの意気で取り組んだ人はいないし、責任という文字も消え入りそうである」と言う。
 首相のご英断、グッドタイミング。国民はもう、昨日までのことを忘れ、「安保」「集団的自衛権」「強行採決」「混乱」「国民の安全」「丁寧な審議」は、どこかへ行ってしまう。これで、国民についてはうまく目先を変えさせられるが、白紙に戻された側は、これから大変である。命令者がどれだけ責任を持つのか知らないが、執行する方は、責任があろうとなかろうと、競技場を作らねばならない。これについては、丁寧な審議がなされたのか知らぬが、国民は理解できたであろう。森本首相も「あのスタイルは嫌いだった」ようだし、ラグビーワールドカップもこれで好きな競技場でできるということであろう。流石、安倍さん。