自民党若手議員の勉強会は何のためになるのであろうか。

自民党若手議員の勉強会は何のためになるのであろうか。
 「安倍晋三首相をひいきにする自民党若手議員の勉強会は、『マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番だ』と断ずる。講師の百田尚樹氏は『沖縄の2つの新聞はつぶさなあかん』と放言する」と日経「春秋」(2015/6/28付)、またこれを「『ひいきの引き倒し』であり、初っぱなの会合がこれだったのだからどんな文化や芸術が理想なのか想像がつく。ひいき客がワーワー大騒ぎ、そんな常連ばかりの店からは普通の客がいなくなるに違いない」と嘆く。
 朝日「天声人語」(2015/6/28付)は、「議席の数は万全なのに、世論の風向きが思うに任せない。異論への過剰な反応は不安のあらわれか。頭に血、ではなく、知を。そう願いたいと」。
 自民党は、「新理念」(平成17年11月22日)において、「わが党は、すべての人々の人格の尊厳と基本的人権を尊重する、真の自由主義・民主主義の政党である」としているが、この勉強会ではその理念は、何処へ行っての勉強会であったのか。また「綱領」(平成22年1月24日)において、「現状認識」で、「我々が護り続けてきた自由(リベラリズム)とは、市場原理主義でもなく、無原則な政府介入是認主義でもない。ましてや利己主義を放任する文化でもない。自立した個人の義務と創意工夫、自由な選択、他への尊重と寛容、共助の精神からなる自由であることを再確認したい。」としているが、この若手は自民党員のであろうか。一部の発言で、全てを語るわけには行かないが、国民の代表者は、言ってならぬことがあろうし、勉強会というもの自体がどうなっているのであろうか。私は、特に「ひいき」の党がない。世論に流されやすい愚かなな一般大衆ではある。それでも、この若手の在り方には、日本国民が選んでしまったこの現状に、戦後70年、私たちには民主主義の理解ができていないことを遅蒔きながら改めて思う。