戦争とは何か。「さまざまの醜怪なエゴイズムが・・・・」

戦争とは何か。「さまざまの醜怪なエゴイズムが・・・・」
 伊勢志摩サミットに合わせての各国の外相が広島に、そして財務相会合は仙台に集まる。そこに、日経「春秋」(2015/6/27付)は、自然災害や戦争に対し、「体験を世界と共有するため、知恵を出し合いたい」と述べている。
 「街並みが吹き飛んだすぐ後は、犯罪は全く起こらなかった。様子が変わるのは数日後だ。まず遺体から時計、指輪、現金が奪われた。生きのびるためにふつうの人が鬼になり、日常が戻るまで時間を要した。戦争とは何か。「『まざまの醜怪なエゴイズムが、社会的規模でむき出しになる状態』だと第2次大戦を経験した作家の小松左京氏は作品の中で表現した。心地よい言葉だけに浸れば、先行きは危うい。来年の伊勢志摩サミットに合わせて、それぞれ戦災、天災からの復興を訴える場になる。体験を世界と共有するため、知恵を出し合いたい。」
 私たちは生き抜くために様々な行動をとる。それは、平和で裕福と思われる時には想像できないことが起きている。そんなことをするわけがない、というようなことが起きている。それは、知りたくない、見たくはないことである。従って、知らされない。商品としても売れない。であるから、多分、その現象は繰り返されているのであろうし、これからもそうなるであろう。想像を絶することが起きた後、生き残った個々の人々が自分の命を守るために、無秩序な空間では何が起きるのであろうか、その経験を知る必要がそれぞれ私たちにもある。戦災や天災から自らを守るために、それが起きた場合、自分たちがどのような局面を迎えるのか、準備が必要だ。私たちは決して、美しく秩序を守る民ではない。