国によるルールや文化の違いを認め合い、従う。

国によるルールや文化の違いを認め合い、従う。
 トヨタ自動車の米国人の女性役員の不正に輸入から、日経「春秋」(2015/6/26付)は、国によるルールや文化の違いを認め合いうことの必要性を述べている。「わずかな時間だからと思い、子どもを車に残して店に立ち寄る。用事を済ませて戻ると、車は警官に囲まれていた――。米国では、子どもを独りにすればただちに虐待とみなされ、通報されるのだという。トヨタ自動車の米国人の女性役員が、麻薬成分を含む錠剤を不正に輸入したとして逮捕された。調べに「体の痛みをやわらげるためだった」と話しているというが、持ち込んだ方法が日本の法律に触れているのは間違いないようである。うっかりミスでは済むまい。中国では、麻薬の密売などに極刑で臨む。国によるルールや文化の違いを認め合い、従う。個人レベルの問題だけではない。会社には自ら厳しい姿勢で検証し、説明する必要があるだろう。これは企業社会共通のルールといっていい。」
 それぞれの世界、その世界常識は、世界中にある。小さくは、それぞれの家庭の中にあり、そして、日本国内でも理解できないルールが多々ある。更に、グローバルな世界では、違うことだらけである。それを個々人が認識して行くのは大変なことではあるが、グローバルな大企業の役員には、その意識が無くてはならないのであろう。組織や地位に甘えてはいられない。否、私のような一般大衆でも同様だ。どうしても、自分中心に世界が動いているような感覚に陥ることがある。従って、それでも地球は回っているのであるという認識を常に持ち、それぞれのグループでのルールというものを尊重したい。また疑問に思うことあれば、それを確認するという技量を持ちたいものである。我が意志をごり押ししてはならない。