明らかな反則を「神の手」とたたえる、そんなファン気質

明らかな反則を「神の手」とたたえる、そんなファン気質
 FIFAの幹部らの不正問題を、日経「春秋」(2015/5/29付)では、サッカーのスポーツとしての不条理性と米国ファンの気質から、その行動を指摘している。
 「サッカーは不条理のスポーツだと。圧倒的に攻め続けても、得点に恵まれないことがある。逆に、押されっぱなしのチームが偶然というしかない一瞬のチャンスをものにして決勝点をあげることも。サッカーは他のスポーツより不条理感が強いかもしれない。そのせいか、サッカーファンは不条理を受け入れ、むしろ楽しんでいるようにみえる。明らかな反則を「神の手」とたたえる不可解な態度も、そんなファン気質のあらわれだろう。米国でサッカー人気がさほど高まらないのはそのためだ、との解説を目にしたことがある。合理性と正義を重んじるお国柄に、不条理に満ちたスポーツはそぐわない、という理屈だ。国際サッカー連盟(FIFA)の幹部らを、収賄などの罪で米司法省が起訴した。米国流の正義の押しつけは鼻につくこともあるけれど、今回は歓迎すべき押しつけだろう。
 FIFAの幹部ら今回の行動は、不条理な行動ではなく、不正行為である。それも、この地位を利用して長年にわたり私腹を肥やす行為できるとは、腐りきった組織である。人数も、一人二人ではないのに、会長が知らんとは信じられない。多分、個々の風土がこうさせたのであろうから、人事を刷新しなけば引き続き、こんなことが続くのである。甘い汁を覚えてしまった者は、更に甘いものを欲しくなる。この連鎖を断ち来るために、徹底的に捜査をし裁くことを望む。それは、正義でも合理性でもなく、フィールド内ではボールを手で持っていはいけないというルールと同じ、最低限の共通ルールである。