めざす安保体制のわかりやすい説明がなくては

めざす安保体制のわかりやすい説明がなくては
(日経「春秋」2015/4/28付) 「我思う、ゆえに我あり」。「よりよく解くために必要なだけの小部分に分割すること」。「もっとも単純でもっとも認識しやすいものから始めて、少しずつ、階段を昇るように」。デカルトの方法、着実な理解の大切さも、誰も異論はないだろう。こうした教えを踏まえ、いま大事な問題を考えてみたい。与党のめざす安全保障法制についてだ。関連法案は10本の改正法案と1本の新法案に分かれ、整理されている形ではある。しかし自衛隊が海外で何をどこまでやるのかは各法案にまたがっていて、のみこみにくい。「重要影響事態」「存立危機事態」などの言葉も出てきて、イメージがわかないので、「階段を昇るよう」には理解が進みにくい。めざす安保体制のわかりやすい説明がなくては政府への疑念が増すだけだ。デカルトには学問の行き過ぎた専門分化を招いたという批判もある。全体像を大づかみで説く姿勢も政府にほしい。
(JN) 小さなことを一つ一つずつ解決して行く場合も、そこに大きな目的があるからである。その大きな目的やその背景を見せず、説明せずに進めて行く。これは、勿論意識的に、部分部分で各党との理解を取りながら、目標を達成していくであろう。私たちは、何もできず、それは進んでゆく。このために、直接の法案だけでなく、報道に対することや地方の在り方や、上手にコントロールして行く参謀、菅さんの力であろうか。今後も、粛々と検討され、採決され、執行されていくのであろう。そして、気が付くと、もうその目的は成し遂げられているということに。国民は何も思わず、我はなしである。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO86229220Y5A420C1MM8000/