西暦3737年12月15日、日本の15歳未満はたった1人になる

西暦3737年12月15日、日本の15歳未満はたった1人になる
(日経「春秋」2015/4/27付) 新学期が始まって約3週間。窓の外をにぎやかに登校する小学生らに、いくばくかの元気がもらえる。その後に続く中学生はノートを片手に英単語の暗記か。日を浴び、風に揺れるハナミズキがエールを送っている。ありふれた風景が、少し輝いて見え出したのは経済学者、翁邦雄さんの新刊に導かれてのぞいたウェブサイトのせいだ。名付けて「日本の子ども人口時計」。東北大大学院の吉田浩教授の研究室などが作成した。西暦3737年12月15日、日本の15歳未満はたった1人になるという。「こどもの日」は、さぞ寂しいだろう。「時計」はこの減少幅を基に推計したものだ。3737年は1700年も先だ。弥生人に21世紀が予想できなかったように、我々にも38世紀は思い描けない。しかし、遠い未来も「今」との対峙の末に訪れる。社会全体を覆う黒雲を払い、変革の果実をもぎ取るべく、悲観論をはね付ける行動へと即、踏みだそう。ほら、公園にはバトンを渡す相手の無邪気な声が響く。
(JN) 昔話で恐縮だが、50年前は、日本中に子供がいた。街には産婦人科の病院があり、空き地には子供たちが走り回り、私も京王線の列車の中を走り回り、顰蹙を買っていた。これは東京だけでなく、地方においても、子供たちが大勢いた。そのころ21世紀の初めに、子供が少なくなることを予測できたがであろうに、無策であり続けた。そして、今も、無策である。私たちの関心は、自分の見える範囲の生活にあり、未来、日本がどうなろうと、関心がないのである。否、今のことさえ、他人任せで、選挙の投票にも行かない者が多くいる。過去や今に満足していてよいのであろうか。もう約束されているこの人口動向、これを変えるには、何かをしなければならない。38世紀までのお話ではなく、21世紀の中頃には子どもの日がどんな姿になっているのであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO86176090X20C15A4MM8000/