『統計は街灯の柱と酒を飲むようなものだ。照明より・・・』

『統計は街灯の柱と酒を飲むようなものだ。照明よりも支え棒として使える』<2018年2月18日(水)>
 統計数値について、『余録』(180228)吉田茂(Y)とマッカーサー(M)とのやり取りを紹介する。「冬は数百万の餓死者が出るといって援助を求めてきたのに、そんなひどくなかったではないか。日本の統計はでたらめだ」(M)。「当たり前です。統計が正確ならあんなバカげた戦争はしないし、統計通りいけばこっちの勝ちいくさだ」(Y)。さて、今、「厚生労働省のとんでもデータだ・・・。『統計は街灯の柱と酒を飲むようなものだ。照明よりも支え棒として使える』とはチャーチルの言葉という。抱き合わせた働き方改革の諸課題はどうなるのか。あまりにお粗末な目玉法案の支え棒である」。
 (JN) 統計の数値は目的に応じて、ある程度の目標値に持って行くことが可能であるとしても、その根拠や数値の使い方をしっかりせねば、使えないものである。そんなことはわかりきっているはずである優秀な人たちが、なぜに今回の裁量労働制に出てきたものは、こんなおそ松くんなのか。どうにも、理解ができない。相当なバカボンの大臣がいようと、優秀な官僚が政府の目的のための情報をきっちり作って来た。それが日本であったし、これからもそうなのであろうはずが、「シェー、驚きざんす」である。この原因はいったい何であろうか。それとも、これまでもおそ松くんであったのが、気が付かなかったのか。それは秘密、秘密、ひみつのアッコちゃんであろうか。