死ぬために生れてきたのではない。生きるために生れてきたのだ

(日経「春秋」2015/2/4付) 「ほめたたえるために生れてきたのだ。ののしるために生れてきたのではない。否定するために生れてきたのではない。肯定するために生れてきたのだ」――。「冬に」と題した谷川俊太郎さんの詩。静寂が包む雪の日、何のために生きているのだろう。己がなすべき善きこととは何だろう。自分の本当の居場所はどこだろうと問う。家具の名産地で知られる北国、旭川に近い5つの町には、「君の椅子」という制度がある。地元で赤ちゃんが生まれると、子供用の木製椅子が自治体から贈られる。「生まれてくれてありがとう。君の居場所はここにあるからね」。買えば5万円もする立派な旭川家具である。地域社会に祝福され、用意されていた一脚の椅子と共に暮らして育つ子供たちは、他者への愛と自信に満ちた大人になるに違いない。谷川さんの詩はこう続く。「死ぬために生れてきたのではない。生きるために生れてきたのだ」。人の命を大切にしない者が暴れる世界は、まだ冬の中だ。
(JN) 立春になったがまだ寒い。でも、昼の時間はどんどん長くなってくる。お日様はありがたい。日溜りでウトウトしていた。そんな居場所があると嬉しいが、年度末近づき、世の中和どんどん慌ただしくなる。ウカウカしていると自分の場所を失ってしまう。忙しない世界であるあるが、我が日本国内はまだ平和である。この平和を他の世界にも分けてあげたい。日本のこの平和の温もりは、独り占めしてはならないであろう。そのために後藤さんは危険な場所に行っていた。その心を私たちは受け継いでいかねばならないであろう。イスラム諸国の避難民の人たちに居場所を作りたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO82780920U5A200C1MM8000/