日本でも敵意や憎悪のほむらが勢いをましていないか

(日経「春秋」2015/2/3付) 「若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい」。先月31日に死去したワイツゼッカー元ドイツ大統領の演説にこうあった。1985年、戦後40年に際した「荒れ野の四十年」と称される議会演説では、一節がとりわけ今日に伝えられてきた。「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」。「余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのが現実であります」。ヒトラーは敵意と憎悪をかき立てて国民の目をふさいだ。過激派「イスラム国」の人質殺害で、日本でも敵意や憎悪のほむらが勢いをましていないか。炎は、イスラム教を信ずる人々や紛争に巻き込まれた中東の人々へと向かわないか。若い人だけの問題ではない。いま、目をふさがれぬこと。この国にとって切実である。
(JN) 憎しみは永遠の連鎖になる。また、人間は忘れる。感情とご都合では、狭い地球の上で共存し合って行くことは難しい。我々は連帯すべきであるが、その連帯が中途半端では敵を作ってしまう。基本は、一人ひとりが手を取り合って、お互いを理解して行くことなのであろう。蛮行に対する共通認識を持ち、そのお返しをすることがないようにせねばならない。現実を見てお互いを知ろう。攻撃を受けた者は、それに対して勇ましく更なる仕打ちを宣言していては、それは単なる蛮行の繰り返しを呼ぶだけである。愚かなる我々は、相手に手を差しのべる勇気も力もないのであろうか。目先のことに、勇ましいことを叫ぶより、事実を知り、その背景を考え、思慮深い判断をしようではないか。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO82731250T00C15A2MM8000/