ピケティ、きょうから講演やシンポジウムに出ずっぱり

(日経「春秋」2015/1/29付) みすず書房の本はかつて、インテリの象徴だった。「夜と霧」や「全体主義の起源」を読むのが大学生のたしなみとされたのだ。そんな版元の一冊が、時ならぬブームを起こしている。トマ・ピケティ氏の「21世紀の資本」は異例の13万部を突破したそうだ。来日した著者はきょうから講演やシンポジウムに出ずっぱりらしい。もっともこれほど注目されるのは、この本が格差や機会の不平等を説いて誰もが無視できないからに違いない。世代間格差や若者たちの閉塞感といった問題を考えるきっかけにもなろう。雇用は不安定、年金にも頼れない、と若い人が希望を持てぬ社会なのだ。アジア10カ国の若者を対象にした調査によれば、「過去1年に経済的余裕があった」と答えた人は10カ国で最も少なかったという。収入の目減りだけでなく、将来への漠然とした不安も背景にはあるだろう。ちなみにかのピケティ本、税込み5940円もするから買っていくのは中高年が多いそうである。
(JN) 私たちの生活品を購入するための流通手段の貨幣には、大変な魅力があるようで、その貨幣を手に入れるために人は心を売ってしまうのである。元々は、唯の金属や印刷物であるのに、これが懐にないと不安になるので、一生懸命、この貨幣を増やそうとし、貨幣たちに翻弄されている。この貨幣が資本となり、更に資本が資本を呼び、どんどん膨れて行くのだが、貧乏人はそれができない。資本主義社会は、自由競争社会と言うが、それは資本にとっての自由であり、従って資本は自由に広がって行き、世界をのみ込んでいく。私たちは、大きな資本を持っていないと、その流れに流され、溺れるのである。資本力の無いものは、黙って溺れて行くのか、上手な泳ぎを覚えて生き残るか。ピケティは、泳ぎ方までは教えてくれない。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO82523770Z20C15A1MM8000/