1学年で1学級が保てない小中学校は統廃合を

(日経「春秋」2015/1/23付) 明治のはじめ、新政府の施策にあらがう農民一揆があちこちで起きた。よく知られるのは地租改正や徴兵令反対の一揆だが、国民あまねく学校へ通えという学制にも怒りは向かう。教育の大切さはやがて人々に浸透して、明治10年には全国の小学校数が2万5000を超えていたという。その後、就学率が100%に近づくのは日露戦争のころだ。少子化が進むなかで、昨今の新たな難題は日本のすみずみの、あるいは大都市の真ん中の小規模校を残すか否かだ。文部科学省はその指針を約60年ぶりに改定し、1学年で1学級が保てない小中学校は統廃合を速やかに検討するよう促した。文科省の指針には、小規模校を維持する選択も尊重すべきだとあって再編が一筋縄ではいかないことがわかる。学制発布当時の多くの小学校は子どもが数十人だったという。そういう小さな場でもあえて津々浦々に設けた先人の思いを生かしていくのか、それとも別の道を見いだすのか。
(JN) 学校統廃合は、人件費及び施設設備等のために必要な政策であり、教育の質のためではない。要は、国として予算に限りがあり、その対策としての統廃合であろう。少子化と国力の低下にある日本、そうであるから尚更に教育の予算を手厚くすべきである。人的資源の質向上があってこそ、日本はこれだけの国力を積み上げて来られた。この日本から教育の充実を取り上げてしまったら、日本から取れる資源はない。徒でさえOECDにおいての教育に係る予算比率の低い日本であるからこそ、手厚い政策を考えられないものか。それとも、個々の家庭に負担をかけ、国民間の格差を生じさせることを国は考えているのであろうか。教育の機会均等は、社会階層の硬直化を防ぐために必要だ。また様々な人材育成のためには、場所により特徴的な教育方法があってもいい。そのためにも、過疎地から大都市まで津々浦々、様々な規模の学校を残して行きたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO82281610T20C15A1MM8000/