『廃校、その土地ならではのアイデアで「学びの場」を・・・』

『廃校、その土地ならではのアイデアで「学びの場」を再生し、住民同士のつながりも取り戻したい』<2017年5月21日(日)>
 「市民による日本初の小学校が京都で開校したのは1869年のきょう5月21日。やがて子供が減り、小中学校の多くが統廃合された。特別養護老人ホーム子育て支援センターになったところもあるが、老朽化の激しい校舎の維持管理は難しく、京都市は民間による跡地活用を認めた」。「余録」(170521)はそんな京都市の姿に思う。「市民の育てた財産は姿を変えても地区の中核であり続ける。全国では毎年500校前後の公立学校が廃校となり、地域社会の衰退で活用の決まらないケースは少なくない。その土地ならではのアイデアで「学びの場」を再生し、住民同士のつながりも取り戻したい」と。
 (JN) 学校は対象となる者がいなくなれば、廃校とならざるを得ない。学校の入学者は一般的にれぞれの年齢層があり、縮小していく先がわかっているのだから、もっと将来を考えての教室づくりをしてもらいたかった。でも、これは木造文化の地震国の日本の姿だろうか。将来を考えずとも、火事や地震が新陳代謝となっていた。しかし、鉄筋コンクリートの建築物となった学校は、そう簡単には壊れない。否、壊れては困るが老朽化はしていく。この廃校をどう使うか。地域活性化の拠点とするなどと張り切らず、子供から年寄りまでみんなで楽しく利用できる空間づくりを慌てず、皆で集会に参加して盛り上げていくべきである。学校はみんなの集まる場である。老若男女が集まり、給食を食べて、意見を交わそう。