銃弾による封殺は論外だ

(日経「春秋」2015/1/9付) 手塚治虫さんは「漫画の神さま」と呼ばれる。膨大な作品が世の中に与えた影響は計り知れない。歴史大作の「陽だまりの樹」や「アドルフに告ぐ」など長編が得意だったが、じつは、1コマ漫画にも並々ならぬ情熱を注いでいた。そこにこそ本来の皮肉や風刺の精神があると考えていた。フランスの週刊紙の風刺画がテロの標的となった。イスラム過激派の関与が疑われている。預言者への風刺が許せない。侮辱への報復だという。あまりに卑劣な凶行である。欧米流は日本人には笑えないものも多い。仏紙が放射能汚染と東京五輪を関連づけた絵を掲げ国際摩擦になったこともある。風土、文化の違いもある。過激な表現は誤解も招く。節度も必要だろう。だが、銃弾による封殺は論外だ。風刺が存在できない世界は真っ暗闇である。
(JN) 暴力・火力による自己表現は、人の命を奪う。風刺画も、相当な殺傷力がある。その攻撃に対して、言論にて対応の表現ができない者たちは、その抵抗として、暴力に訴えてくるのであろうか。彼らは、これを正当と考えているのであろうが、そのことについて正当ではないことを伝えるにはどうすれば良いのであろうか。また、新聞社は敵ではないことを彼らはわかっていない。私腹を肥やしている者によって、人民が苦しんでいる事を理解してもらわねばならない。また、宗教の自由はお互いにあり、他宗教間の不理解を問題にするよりも、他に考えるべきではないのか。我々にとって一番大事なのは、それぞれの個々人の命である。それをそれぞれの信条で、疎かにするような行為を止めてもらいたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO81749470Z00C15A1MM8000/