韓国も先日、憲法裁判所が「刑法の姦通罪は違憲」との判断

韓国も先日、憲法裁判所が「刑法の姦通罪は違憲」との判断
(日経「春秋」2015/3/2付) 「姉から、来てほしいと言ってきて」と偽って家を出た若妻、一度は心とがめて引き返しかけるのだが、「もう悪人でも構わない」と決めてしまえばあとは急ぎ足で……。24歳で死んだ樋口一葉の小説「裏紫」は未完で、冒頭5ページ分ほどしかない。姦通(かんつう)が罪に問われた明治のころの一女性の覚悟を描いて傑作である。日本の姦通罪は戦後すぐになくなった。韓国も先日、憲法裁判所が「刑法の姦通罪は違憲」との判断を示して廃止したという。姦通罪は私生活に対する国のいき過ぎた介入ではないのか。そんな議論が韓国社会で長く続いたすえの結論だとうかがえる。配偶者に対する契約違反であって犯罪ではない。姦通をそうとらえるのが世界の流れだ。一方、韓国で日本で、あるいは多くの国で、姦通は道徳上の罪であり続けている。密会の場に急ぐ「裏紫」の主人公お律が浮かべる「冷ややかな笑み」はいまの読者もドキリとさせる。道徳意識は刑法を追って簡単に変わりはしない。
(JN) 道徳も法律も、時代とともに変化するし、同じ時代においても、地域によりかなり異なる。男女関係において、女性の立場は、その理解の進みは地域により1世紀以上の開きがある。なにを進んでいるのかと表現は難しいが、要は男性中心であるか否かである。大体、世の中の宗教と言うものが男性優位主義である要にも見えるがそうでもない。今の私たちは、家族と言うこの一番の大事な枠組みにおいて、父親を中心とする家族の枠であるから、男中心の道徳観を持って行こうとしている。それは財産と共係る。そのことが解決できなければ、今の道徳はなかなか変えられないのであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO83832670S5A300C1MM8000/