『飛び切りの難題に、フィリピンの人々は直面するかもしれぬ』

『飛び切りの難題に、フィリピンの人々は直面するかもしれぬ』
 「筆洗」(東京新聞/16/5/13)はフィリピン大統領選挙の結果に思う。「ダバオでは犯罪容疑者らを闇で葬る『暗殺団』がうごめき、千人余が殺害されたという。その背後にはドゥテルテ市長がいる、と国際的人権団体は繰り返し指摘。『必殺仕置人』には黒幕がいて、その人が将軍になってしまう…というのは、ドラマの筋書きとしてもいかがなものか。法を法とも思わぬ最高権力者の暴走をどう防ぐか。そんな飛び切りの難題に、フィリピンの人々は直面するかもしれぬ。」
 私たちは、過去の経験を読み取ることができない。従って、自分たちのリーダーの選択を誤ることがある。今回のフィリピンがそうでないことを祈る。正義を謳って自分にとって不都合な者を消して行く。それを合法的に行う。第2次大戦のナチスの行為と同じになりはしないか。嘗てのフィリピンの独裁政権のようでも良いのか。それも選択の自由か。権力と富の集中が加速しないか。恐怖政治にならないか。妙な国との友好関係を結んだりしないか。心配である。私たち大衆は誰かを信じ、そして誰かを悪人にする。選ばれき人は信ずるべき人となり、死ぬまで信じ続ける。これはドゥテルテ氏の思う壺である。(JN)