セルフィーなる新語が定着しつつあるそうだ

(日経「春秋」2014/10/17付) 内田百間は写真嫌いだった。「寿命が薄くなる」と憤慨した。「玄人の仕事の関係は仕方がないとして、そうでない素人がどうしてあんなに写真が取りたいか」と。そんな作家が昨今の「自撮り」ブームを知ったらどんな意見をするだろう。ずっと昔からセルフスナップと呼んでこの手はあったけれど、スマホの登場でやりやすくなった。出来のいい作品をブログや交流サイト(SNS)に載せてアピールする人も珍しくない。英語圏では、自撮り写真を指すセルフィーなる新語が定着しつつあるそうだから世界的な流行だ。そういえば百間は、写真はご免と言いながら案外たくさん撮らせている。口をへの字に結んで謹厳なふうを装い、じつはなかなか自意識が強かったのだろう。そんな自己演出が自撮りで気軽にできるようになった時代を喜ぶべきか悲しむべきか。試みに1枚……スマホ画面の自身を眺めればやはり、寿命の縮む思いがする。
(JN) 現代になり、ポートレート激増であるが、寿命は長くなっている。気楽な写真が良いのだろう。顰めっ面してじっとしての写真撮影は、寿命を縮めそうだが、楽しい写真は皆を長生きさせるのではないか。しかし、写真と言うものは、押せばよようだが難しい。周りの仲間の写真を撮るのはまだ、それでも何とか撮れるが、セルフスナップという自分を撮るのが難しい。時に、良い風景を背景に自分を含めて撮ってみるのだが、情けない顔ばかりだ。そういう顔のなのだろうが、威厳ある顔に撮ることができないものか。命を縮めるぐらいに力んで取らねばならないか? とにかく、ナルシストになり、セルフィーをがんばってみよう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO78509740X11C14A0MM8000/