天災には、人の気持ちを結ぶ力があるらしい

(日経「春秋」2014/10/7付) 列島に混乱の渦を起こした台風18号が足早に去っていった。できればもう来てほしくないが、思いを新たにさせられることも2つある。過ぎ去った後の青空の美しさ。そして、普段は忘れがちな人間の絆だ。緊張した車掌や駅員の声から、通勤の足を預かる責任感が伝わってくる。満員電車で普段はライバルかもしれない他の乗客が、いつのまにか同志になっている。天災には、人の気持ちを結ぶ力があるらしい。台風という日本語は、それほど古くない。与謝野晶子が「台風という新語が面白い」と、大正初期の随筆で書いている。それまでは野分と呼ぶのが普通だった。さらに百年が過ぎ、交通や社会基盤が発達した今は、台風の含意もまた変わった。自然には善意も悪意もない。それは何億年も前から同じだ。変わったのは、人間の側の事情である。都市に住むようになり、速度と効率を重んじ、忙しさのあまり他者を思いやる心が薄れてはいないか。台風の去来は、人が大切な何かを思い出すための時間かもしれない。「大いなるものが過ぎ行く野分かな」(高浜虚子
(JN) 台風は、私たちにとっては来てもらいたくない厄介者である。でも、自然の摂理であり、避けられない以上、対策を取って受けるしかない。その準備は、毎度、それぞれに行っているのだが、被害は絶えない。この野分に対して、私たちは物理的に準備をしていても、情報伝達とその理解がないと、対抗できない。また、いやいや受け身にならずに、積極的に情報を収集して、避難行動をとることである。この野を分ける力とスピードがあるので、先手を打たねばならない。そのためには、仕事を休む、休みにする積極性もいるだろう。家族や地域を大事にして、野分から自分たちを守って行きましょう。仲間を大切にする心が大事だ。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO78071210X01C14A0MM8000/