「退屈な若者たち」をこそ狙っているに違いない

(日経「春秋」2014/10/8付) 空港での自動小銃乱射、ハイジャック、大使館占拠……。1970年代を中心に世界中でまがまがしい事件を続発させた日本赤軍、国内で活動していた赤軍派メンバーらがひそかに出国、パレスチナゲリラと手を結び国際社会を震え上がらせた。海外の戦場に「革命の根拠地」を――というのが彼らの理屈で、ようするに押しかけ部隊である。無法はやがて行きづまり、あの時代はすっかり遠ざかったのだが、目下の「イスラム国」をめぐる出来事は新たな脅威を見せつけてやまない。アルバイト募集のような軽いノリのチラシが「イスラム国」への入り口だったという。こんな誘いに乗せられて戦闘員への参加を企てていた北海道大学の学生を警視庁が突きとめた。出国寸前の摘発である。休学中のこの青年にさしたる思想性はなかったようだ。しかし「イスラム国」はいま世界中で、そういう「退屈な若者たち」をこそ狙っているに違いない。警視庁は今回の事件に刑法の私戦予備・陰謀罪を初めて適用した。耳にしたことのない物々しい罪名の登場に、往時とはまた異質の危機を知る。
(JN) 暴力革命を信仰するのではなく、そこへ行って「戦いたい」と言う。何と迷惑なことか。他人の土地へ行き、暴力を振るってくる。なぜ、そんな発想が起きるのか。勿論、暴力革命も許すことはできないが、この「戦いたい」は、ディスプレイの中でのゲームとでも思っているのか。他人に命も、自分の命も、リセットすればまた始めからゲームができる訳ではない。私たちの一人一人の小さな命、これを一つ一つ大切出来ない考えや国家はあってはならない。このような若者がいるという事は、日本の教育の何に問題があるのか。それともこれで良いのであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO78132260Y4A001C1MM8000/