障害があっても、全力で克服する。それを社会が応援する。

(日経「春秋」2014/10/6付) 障害者の国際的なスポーツ競技会がパラリンピックと呼ばれ始めたのは、1964年の東京大会からだ。この大会ではパラリンピック本来の意味である車いす競技としてアーチェリー、トラック競走など14種目が開かれ、出場者は21カ国387人にのぼった。大会を裏で支えた活動もあった。通訳では学生や会社員ら156人がボランティアを買って出た。障害があっても、全力で克服する。それを社会が応援する。64年は戦災から復興した日本を世界に示すとともに、障害をハンディとしない国へ一歩を踏み出した年でもあった。この半世紀で障害者福祉はどこまで進んだだろうか。2020年東京五輪パラリンピックが6年後に迫る。恥ずかしくない姿を世界に見せたい。
(JN) パラリンピックという名称が使われ始めたの1964年の東京オリンピックであったとは知りませんでした。それから50年が経過し、様相も随分変化したのであろう。その東京オリンピックから56年後の東京オリンピックパラリンピックは、どのようになっているのであろうか。このパラリンピックのためだけではなく、日本がユニバーサル社会を十分に受け入れられる施設と人材をあと6年で作りあがげるようになるのであろうか。思うに、東京でオリンピックを行うために動いており、本質を私たちは理解しているのであろうか。例えば、障害者権利条約を批准したことについて、私たちはどこまで理解しているのか。障害者差別解消法の28年度からの施行を理解しているのか。さらに、自分たち自身が今どうであり、今後どうなるのか、を考えて行かねばならない。他人事でも、オリンピックのためでもない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO78008450W4A001C1MM8000/