裁判員裁判が抱える二律背反の難問をただちに解決できる方策はない

(日経「春秋」2014/10/2付) 検視の本を捜査関係者に借りて読んだことがある。ところがカラー写真を使った解説に堪えられなくなり、半分も見ないうちに閉じてしまった。忘れていたその本の記憶が、おととい福島地裁であった判決のニュースを聞いてよみがえった。裁判員に選ばれた女性が、遺体の写真を見たり、被害者が助けを求める119番の録音を聞いたりして急性ストレス障害になり、損害賠償を求めていた裁判である。判決は「裁判員を務めたことで心に傷を負った」と認定した。各地の裁判所では写真を白黒やイラストに代えるなどの試みがなされている。だがその一方で、被害の実態をありのままに見てもらわなければ殺意の強さや犯行の残忍さが伝わらない、といった問題もある。検視本の写真はしばらく頭から離れず、ふとしたときに思い出しては気が滅入(めい)った。それでも写真を見たことで理不尽な犯罪への憤りが強まり、社会の安全についてより考えるようになったとも思う。裁判員裁判が抱える二律背反の難問をただちに解決できる方策はないが、よりよい制度に向けて、工夫を重ねるしかない。
(JN) 検視本等を私は見たことがないので、そのことについては言えないが、我々には、行政や司法の一方的な都合から我々を守るためにしなければならないことがある。その一つとして、我々の裁判員がある。この裁判員は、その現場の生々しさをそれぞれの個人が自分の心に入れて、それぞれの判断をする権利なのである。その生々しさには、非常に辛いものがあるから、損害賠償を求めることまで起きるのであるが、それが裁判員裁判なのであろうか。でも、その趣旨に基づき、改善はされて行くべきであろう。できるだけ、心身の弱い我々一般の民に対応ができるようにすることを、我々国民側も提案すべきなのかもしれない。それはどのような方向に向かおうと、自分には、何時その時が来るのかわからぬが、その時はその権利に真摯に対応したい。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO77840640S4A001C1MM8000/