地底の様子は容易にはつかめない

(日経「春秋」2014/10/3付) ゲーテは経済の専門家だった。主人公が恋に悩み自殺する小説で、全欧州を熱狂させただけではなかった。ワイマール公国の宰相として税・財政分野でも腕を振るった。着任当時、国庫は赤字続きだった。新しい財源として古い鉱山に目をつけて、資金をつぎ込み再開した。金属層が見つからない。浸水、落盤が続き、いたずらに経費ばかりが膨らむ。機械も使えなくなった。結局、28年後に廃鉱になる。安価で注目されているシェール資源開発も鉱山と似ている。住友商事は米国での採掘が頓挫、今期2700億円の損失を計上して、1年分の利益がほぼ消える見込みだ。技術が進み地質調査の権威も育っているはずなのに、地底の様子は容易にはつかめない。鉱山では失敗したゲーテも言っている。「権威は真理と同様に、誤りを伴うものだ」
(JN) 山師の仕事は、外れが多い、それは昔の話かと思った。世の中、科学技術が進み、ここにあるはずと権威が示しても、まだまだ地球内部のことはわからぬか、外れが出る。また、当たりを出しても、インフラ整備から、公害問題まで社会費用含めて、負担が大きい。そして、その埋蔵量は有限であり、やがて終わる時が来る。何時まで、こういった資源に頼らねばならないのか。我々は、このように資源を破壊し続け、その後に残すものはなんなのだろう。或いは、残りの資源を巡って争いが再び起きて、人口が減り生き残る者たちがこれを繰り返して行くのか。私たちは何のために生き続けて行かねばならないのか。資源に恋して、悩み自殺の道を歩むのか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO77893300T01C14A0MM8000/