『文在寅政権のスローガン「積弊清算」をどう考える』

文在寅政権のスローガン「積弊清算」をどう考える』<2018年11月1日(木)>
 「元徴用工への新日鉄住金の損害賠償を命じた判決が確定した」ことに『余録』(181101)は、ソクラテスを想う。「悪法もまた法なり」、「およそ法的安定性と正義は司法の2大要請だが、時としてお互い矛盾することがある。一般の裁判では法の一貫性を曲げても正義が優先される場合があろうし、逆に法的安定性が尊重されることもある・・・『積弊清算』・・・文在寅政権のスローガンだ。従来の日韓合意を“悪法”とする司法判断もそれと無縁でなかろうが、法秩序への信頼に命をささげた哲人に恥じるところはないか」。
 (JN) 政治、法律、歴史、心情・・・等が交じりあい、難しい。でも基本として、過去に国家間で合意したことは現在のものが責任をもって遵守せねばならない。従って、その合意に対して勝手にその国の中での解釈は成り立たない。その日本と韓国との合意が米国の差し金で韓国がその内容を仕方なく呑んだのであろうとしても、悪法だとしても、国家間での合意を変えるならば、国家間での話し合いに持って行くもの。これは、司法の出すべき裁定ではないのか。どうなのでしょうか。その一方で、日本は戦前に行ってきたことの事実を避けることなく認識もせねばならないでしょう。