大学中退者7万9千人のうち20%は経済的理由での勉学断念

(日経「春秋」2014/9/28付) 「苦学」という言葉がさかんに使われた時代があった。明治時代より、苦しくとも、そうすればきっと未来は開けると若者たちは夢を膨らませ、勉強した。戦後になってもそういう苦学生はたくさんいて、定時制高校や大学夜間部はよく青春映画の舞台になった。されどそれもこれも、過ぎ去った遠い昔の話と思いがちだが現実は違う。文部科学省によれば、2012年度の大学中退者7万9千人のうち20%は経済的理由での勉学断念だった。07年度調査より6ポイントも増えている。親のスネをかじり放題の、バブル期あたりのリッチな学生像は遠のいて久しい。政府は無利子奨学金などで学生を支えるというが、こういうところへの予算は惜しんではなるまい。苦学はしばしば美談として語られるけれど、明治大正のころの苦学生も初志を貫徹できるのは100人に1人の険しい道だったという(竹内洋著「立志・苦学・出世」)。豊かになったこの国にあってはならぬ景色だろう。
(JN) 大学中退者7万9千人のうち20%は経済的理由での勉学断念というが、その経済的理由に至る経緯は何か? 入学前には、それぞれが4年間のプランを立てその見通しの下に学習を進めるはずたっだはずだ。また、それも含めて、本当の理由が経済的理由なのか。問題は学習意欲ではないか。現在の大学には、様々な経済的救済装置があり、それを利用すれば、やる気がある学生は卒業できるの可能性が大きい。確かに、本当に学習をしたくとも、経済的理由で辞めざるを得ない学生もいるが、それは20%もいない。無理をして入学しても学習意欲が落ちれば辞めざるを得ないだろう。学習意欲が如何にあるかないか、それは当人の問題もあるが、大学というところにも問題があり、それぞれの大学でそれぞれの改革が進んでいるが、最後の受けれ学校である大学で、対応するにはできることとできないことがあろう。まだまだ詰め込み式でありトコロテン式の日本の学校制度を如何に変えて行くか、それぞれの学校の教員の力も必要だ。それを創っていくのも大学である。
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